2022年11月8日

OCEAN column

祝!鉄道開業150周年
進化する日本の鉄道

Vol.02掲載
再生可能エネルギーだけで列車は運行できるのか!?

Quarterly OCEAN Vol.02

特集 OCEAN Column


2022年は日本に鉄道が開通して150年になる記念イヤーで、全国で150年を祝う企画が行われようとしている。

航空や自動車に比べて環境に優しいと言われる鉄道でも様々なカーボンニュートラルへの取り組みを行っている。

今回は鉄道の150年の歴史を振り返りつつ未来への進化も紹介する。


日本で鉄道が開業した際にイギリスから輸入された110号機関車。

最初の10両のうちの1両で桜木町駅の駅ビルに保存されている。


日本に初めて鉄道が走った日


2022年は日本に鉄道が開業して150年という記念イヤーである。

日本で初めて鉄道が走ったのは1872年(明治4年)の10月14日のこと。東京・新橋駅(現在の汐留付近)から横浜駅(同・桜木町駅)までの区間で開通した。イギリスから輸入された蒸気機関車10両と小さな客車で構成された列車は、新橋-横浜間を所要時間53分、表定速度は約33km/hで運行を始め、品川・川崎・鶴見・神奈川(神奈川駅は現在廃駅)の4つ途中駅が設けられた。今は東海道線で22分程の距離である。


電化されて「電車」が登場


日本の鉄道開通から7年後の1879年、ドイツのシーメンス社がベルリンの博覧会で電気機関車の試作機を発表し、直流150Vで18人乗りの客車を12km/hで牽引したことが、世界で初めての外部集電による電車の始まりだと言われている。

その2年後にはドイツのベルリン郊外で世界初の電車の営業運転が開始された。1895年(明治28年)になると、日本でも初めてとなる外部集電を用いた鉄道の営業運転が京都の路面電車で始まった。一般の鉄道では、甲武鉄道(現在のJR中央本線)で1906年(明治37年)に飯田町(現在の飯田橋駅の近く)から中野駅間で電車の運行が開始された。2年後に同線が国有化されると同区間が国鉄初の電化区間になり、その後首都圏の他路線にも広がり、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)も電化され日本全区に電化区間が拡大されていった。


国鉄無煙化計画の実行と蒸気機関車の全廃


日本に鉄道が開通してから、鉄道と言えば蒸気で走る蒸気機関車と客車がセットになったものが中心だった。煙突から出る煙やドレン、匂いや音、振動など五感を刺激する乗り物で、現在も日本の各地で動態保存機(本線を走行可能な状態で保護・保存すること)が数機活躍している。

当時は主力で活躍していた蒸気機関車だったが、コストや人件費の面でかなりデメリットが多かった。石炭と水を大量に消費するため、単位走行キロあたりの燃料費が高く、機関車の走行には常に石炭と水の補給が必要不可欠で、石炭の燃えかすも取り除く必要もあって長距離の走行には駅の設備を整える必要があった。トンネルが連続するような山間部も難所と呼ばれた。視界を確保するために蒸気の量を絞ると出力不足で坂を登りきれず、逆に蒸気の量をあげるとトンネル内に充満した煙で乗務員が窒息死するという事例もあった。トンネルに入ると客車の窓を閉めた経験がある方もいるかもしれない。

1919年(大正8年)、主要幹線と勾配区間、水力発電を生かせる立地などを条件に電化計画が閣議決定されたが、関東大震災や昭和恐慌によって蒸気機関車が主流の時代は戦後まで続くことになる。多くのトンネルと急勾配が続いた群馬県と長野県の県境をまたぐ碓氷峠を1912年に電化し、国鉄初の電気機関車を投入した。首都圏でも電化区間が拡大され、1931年(昭和6年)には中央線・山手線・現在の京浜東北線で現在の電圧と同じ直流1500Vまで昇圧された。

電車や気動車に比べて重量があった蒸気機関車は、高速化による軌道強化などに多額の資金が必要になることや、構造上進行方向が決まってしまうこと、燃費が良くないこと、煤煙などの問題から1975年12月14日、北海道の室蘭本線 室蘭-岩見沢駅間でC57-135号機によって旅客定期列車の運行が終了した。その10日後に現在の石勝線でD51-241号機が牽引する石炭貨物列車をもって日本の全ての営業列車から蒸気機関車は引退した。

構内入れ替え用で現存していた北海道・追分機関区の蒸気機関車も翌年の3月2日に引退。日本の鉄道から全ての煙が消えた。

日本の蒸気機関車最後の地となった北海道では、連日多くの鉄道ファンが集まっていた。


JR東日本が群馬県高崎駅を中心に動態保存するD51-498とC61-20

高崎駅から上越線・信越本線を中心に週末臨時列車として運行されている


モータリゼーションの拡大と鉄道貨物の衰退


1962年、東京で初めて首都高速が開通したのを皮切りに、全国に高速道路が整備されるようになり、日本でも大衆車が続々と登場し、一家に自動車一台の時代がやってくる。創刊号で特集したFiat Nuova500の発売の五年後のことである。

都心部でも続々と自動車が増え、モータリゼーション化が加速していった。都内のいたるところに走っていた都電も、増え続ける車による交通渋滞により定時運行が難しくなり、次々と廃止されていった。今は、早稲田から三ノ輪を結ぶ荒川線が一本残るだけである。衰退の波は貨物輸送にも及んだ。豊洲に移転した東京の築地市場は、もともと場内に東京市場駅という貨物駅を併設していた。弧を描いた特徴的な形状の建物は、貨物駅を併設していた名残で、1966年に大阪とを結ぶ特急鮮魚貨物列車も設定された。80年代になると貨物輸送も鉄道からトラック輸送にシフトすることになり東京市場駅は廃止され、小口輸送のコンテナ貨物に切り替わり専用特急貨物は廃止されていった。


省エネ電車とハイブリッド気動車の登場


1970年代になると二度のオイルショックが訪れた。鉄道会社は終電を繰り上げ、デパートやスーパーは営業時間の繰り上げを行い、自動車メーカーはスポーツカーの開発を中止しモータースポーツから撤退した。昨今のコロナ禍と同じような状況が今から50年以上前に起こり「省エネ」という言葉が生まれたのだ。

1979年、国鉄が「省エネ電車」というニックネームで新型通勤電車「201系」を発表した。鮮やかなオレンジ色の塗装で「オレンジ色の中央線」で親しまれた電車で、従来の車両から制御方式や内外装に至るまで数多くの新技術が投入され、一九八一年から中央快速線に本格導入された。85年にはさらに改良された「205系」が登場する。軽量ステンレス構造を採用したシルバーの車体にカラフルなラインカラーが入る現在の通勤電車のスタイルが登場した。機械ブレーキから電制ブレーキに変わり、錆に強いステンレスは塗料と重量を削減し、山手線でデビューした後、横浜線、南武線、埼京線、京葉線、武蔵野線などの首都圏の主要路線に導入されていった。


新宿駅に停車するオレンジ色の中央快速線「201系」

中央快速線の高架化工事による車両不足を補うため、2010年まで2編成が残っていた。

ステンレス車体ばかりの首都圏では目立った存在だった。



一九八七年に国鉄が民営化されJRが誕生し、首都圏エリアを引き継いだJR東日本は従来の車両のシステムを一から見直し、新たなコンセプトとともに新設計の車両「901系」を発表し営業車両に混じって走行試験を開始した。「901系」は従来の通勤型車両に比べ「重量半分・価格半分・寿命半分」をコンセプトに掲げてデビューした。

「重量半分」は10両編成単位での総重量を削減し省エネルギー化と点検整備性の向上に加え維持費用の削減を目指した。「価格半分」では、基本設計を統一しつつ、各車両メーカーの自由設計を認め、大量生産による備品調達費用を削減した。「寿命半分」は、従来20年~30年の使用を想定していた頑丈な国鉄型に対して、長期間の使用は技術進歩に追いつけなくなる可能性や、故障などのリスクなどを考慮した上で、減価償却期間である13年以降は廃車とリサイクルを考慮した設計を採用した。

10両編成3本が別々のメーカーで製造され、それぞれが実際の運用に混ざりながら走行試験を重ね、1993年に「209系」として京浜東北線にデビューした。その後、最新の技術を取り入れながら進化を重ね、東京の通勤客を支えている。

1999年、トヨタ自動車は「二十一世紀に間に合いました」のキャッチコピーで初代プリウスをデビューさせた。世界初のハイブリッドシステムを搭載した自動車として登場したが、当時は大排気量・大パワー車が多く「燃費」という言葉も浸透していなかった時代で、大ヒットにはならなかった。2003年になると、JRもハイブリッドシステムを搭載した試作車「キヤE991型」を製作した。小型のディーゼルエンジンと軽量ステンレスを採用した車体にシリーズ式ハイブリッド方式を採用し、ディーゼルエンジンで発電した電気をインバーターを介してバッテリーに充電し、その電力でモーターを駆動させた。今の日産自動車の「e-Power」のシステムと同じ方式である。4年ほど走行試験を繰り返しJR小海線に世界初のハイブリッド気動車として「キハE200系」がデビューし鉄道車両にもハイブリッド車が本格導入された。


「再生可能エネルギー100%」と水素で走る車両の登場


2022年4月、東京の渋谷駅を中心に神奈川県方面に路線網を持つ東急電鉄は、鉄道線七路線と軌道線一路線の計104.9kmの全線で、運行に関わる電力と全駅で使用する電力の全てを再生可能エネルギー由来の実質CO2排出ゼロの電力に置き換えたことを発表した。東急が全線で100%再生可能エネルギーに置換を可能にした要因は、以前に比べて消費電力を削減出来たからだという。

渋谷から三軒茶屋、二子玉川、たまプラーザ、青葉台などのブランド住宅街を結ぶ田園都市線では昭和生まれの8500系を最新型の2020系へと置換を進めていた。2022年の6月現在で8500系は残り一編成のみが運用についているが、全てを最新型に置き換えることによって消費電力を50%削減できるため、再生可能エネルギーのみで運行することが可能になった。

東急電鉄 全路線図

東急電鉄は東横線、田園都市線などの主要路線を抱え、総延長104.9kmの路線を持つ。渋谷駅や目黒駅では東京メトロに乗り入れ、都心部や埼玉県へと直通運転を行う首都圏大手私鉄の一つ。

全線で年間約80万人が利用する東急線は、年間約3万5千kwhの電力を再生可能エネルギーに置き換えることにより、1年間で約165,000tのCO2が削減される見通しで、一般家庭の年間CO2排出量に換算すると約56,000世帯分にあたる。

東横線元住吉駅ではホームの屋根に太陽光パネルを導入し、全駅の照明をLEDに置き換える工事も進めている。



小田急電鉄でも2022年4月から2027年9月までの期間、線内を走行する全26編成の特急ロマンスカーの運行電力全てを再生可能エネルギーで賄い、特急「ゼロカーボンロマンスカー」として運行する。

小田急の看板特急であるロマンスカーは、建築家の岡部憲明氏がデザインを務める人気の列車。岡部氏は1974年フランス・パリのジョルジュ・ポンピドゥ国立芸術文化センターの設計チームに参加し、イタリアの建築家レンツォ・ピアノ氏とともにフランスやイタリアで活躍した。関西国際空港の設計に携わり、「Renzo Piano Building Workshop Japan」の代表取締役も務めた。そんな岡部氏が設計した現在の最新型ロマンスカーであるGSE(70000形)は従来のロマンスカーLSEに比べ、約80%の消費電力削減を達成していて、ロマンスカーの走行によって排出されるCO2年間排出量の約8,000トン(2021年実績)を削減する。

2022年2月、JR東日本は水素を動力源とする新しい車両「FV-E991系」を報道公開した。

神奈川県川崎駅から東京都立川駅までを結ぶ南武線・鶴見線系統で水素車両の試験運転を開始した。川崎市・横浜市と神奈川県は臨海部の京浜工業地帯で風力発電による水素の製造・貯蔵、圧縮システムなどの設備を整備しており、臨海部の工業地帯で稼働している燃料電池フォークリフトを使用し、従来比で80%以上のCO2削減を目指す実証実験を行っていて、この既存設備に着目し試験運転に乗り出した。

年間約285万人が利用する東海道新幹線も今年(2022)の6月に運行中のN700S系車両のソフトウェアを改良し、年間約2,000万kwhの電力を削減する技術を発表した。これにより、運行にかかっていた年間約3億円の電気料金と約一万トンのCO2排出量を削減できる。高密度運転による送電時の電圧低下を車両側で抑制し無駄になっていた電気を減らす世界初の技術で、沿線の変電所などの地上設備も削減ができる。


私たちが普段何気なくスマホを手にしたり、うたた寝をしながら利用している鉄道も、消費電力を削減し少しでも地球を守ろうと行動している。欧州でFlight shame(フライトシェイム)や飛び恥と言われ、短距離の移動を航空機からCO2排出量が低い鉄道を利用することが注目を集めているが、日本の鉄道も様々なアプローチで電力削減やカーボンニュートラルに取り組んでいることを知って欲しい。


[この記事は、Quarterly OCEAN Vol.02に掲載された内容をweb用バックナンバー向けに再編集したものです。]

 

文・画像:鈴木 洋平


参考文献

東急電鉄株式会社 2022年3月28日 プレスリリース: https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20220328-2.pdf

小田急電鉄株式会社 2022年3月31日 プレスリリース : https://www.odakyu.jp/news/o5oaa10000022rpk-att/o5oaa10000022rpr.pdf

東日本旅客鉄道株式会社・株式会社日立製作所・トヨタ自動車株式会社 2020年10月6日プレスリリース : https://www.jreast.co.jp/press/2020/20201006_4_ho.pdf

東海旅客鉄道株式会社 2022年6月16日プレスリリース : https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000042106.pdf