2022年11月8日

Relay Essay

空想力

Vol.02 掲載
上野 鐵也
株式会社JET DESIGN 代表

Quarterly OCEAN Vol.02

Relay essay


小さい頃から乗り物が好きだった。

仮面ライダーアマゾンに憧れたのが最初だったが、バイクに限らず、車・飛行機・船、人や物を運ぶ乗り物に無性にロマンを感じる。乗り物の中で特に熱中したのは鉄道だった。名前のせいかもしれないが…。

物心ついた時からニュースや授業や親との会話で地名や場所を示す名称を初めて見聞きしたら、必ずその場所まで電車の経路や路線図で調べた。移動距離や移動時間も認識する事で位置関係を記憶するのだが、地名や地点が増えるほど頭の中の路線が広がり繋がり埋まっていくのは楽しく充実した工程だった。


小学校では鉄道好きの友達と鉄道少年団を結成し、鉄道乗車、鉄道写真撮影、駅舎や機関区の見学などの活動に勤しんだ。とはいえ地方の小学生にとっては電車を見に行く事も乗る事もそう簡単な事ではなかった。都心のように縦横無尽に線路が通り数分も空けずに電車が走っていれば、子供の行動範囲でもいろんな電車が見られただろうし電車に乗るという事自体も難しくは無いのであろうが、田舎では一々ちょっとした遠出になってしまうのだ。鉄道模型を持ち寄って走らせたりもしたのだが、列車一両買ってもらうのも大変高価な鉄道模型を小学生がそう沢山持っているはずもなく、みんなの分を繋げたところで数回走らせれば満足する程度のものしかできなかった。そんなわけで鉄道少年団の活動の中心は自然と机上旅行になっていった。

机上旅行の活動拠点は学校の図書室や市立図書館など、資料が揃っている施設になることが多かった。目的地を決めたら時刻表と地図を用いて、出発時間や目的地への到着時間と滞在時間、帰宅時間と使用路線を選び運賃を算出、旅行全体の経費を検証し予算を決める。事前にリサーチした周りの大人からの情報や図書館にある地理や歴史などの資料から収集した内容を元に、旅の予定を組み立てる。旅に出たら道中の駅でお弁当を買ったり、車窓から見える景色を楽しんだり、目的地に到着したら観光地や史跡を巡り、地元の美味しいもの食べ、名産品などのお土産を買うなどする。そして仲間と共に今回の旅に思いを馳せつつ帰宅するのである。あくまで想像で。

机上旅行で色々な場所に出かけてみると、なぜこの路線はここを通っているのだろうか?こっちに線路を通した方が良かったのではないか?などと、しばしば不思議に思う事がある。そうした疑問を感じたら地形や地質、線路が出来た当時の掘削技術、土木工事の歴史、機械の進化など様々な観点から調べてみるのだが、知り得た知識からそこにそうある理由や数々の要因の関係性の中でその形になった必然を知る事ができた。そうした知識の積み重ねにより、頭の中の路線地図は立体的になり多角的な注釈が書き込まれそこに時間軸も加わり、更に世界へ宇宙へと現在も広がり続けている。


デザインには材質・機能・美的造形性・技術・生産・消費、様々な要素を検討し調整する総合的造形計画という意味があるが、まさにこの経験がイマジネーションを駆使して多くの要因に目を向け、疑問を持ちそれを探究する事によっ

て形を導くという自分のデザインの概念を作り上げたと思っている。

元来、日本には単一方向的な視点ではないユニバーサルなモノづくりや、空間づくりに消費サイクルを包含して、丁寧に構築した仕組みが存在している。うつろいゆく時の変化をも受け入れ愉しみ、モノの価値、使い方や機能を変化させながら長く使う事で、多くの文化を醸成してきた。例えば手ぬぐいは、本来の機能は「拭う」ことだが、「包む」「隠す」「飾る」など多目的に使いその意匠も愉しむことが出来る。そして時間の経過と共に機能的役割を変化させ「鼻緒」「包帯」そして「ハタキ」「雑巾」などとして使われ、永い消費サイクルを全うする。また裂くなど簡単に加工できるように、濡れても乾きやすいように端は縫わずに切りっぱなしで、物の状態変化も考慮した仕様になっている。日本建築も同様に、人体に即した合理的なモジュールを機能的かつ意匠的に用い、寝室、食堂、居間などあらゆる生活空間をフレキシブルに使い、且つ生活する人々の暮らしの変化や成長に応じて展開することができる。これらはモノや空間のみをデザインしているのではなく、仕組みそのものをデザインしているということであり、総合的造形計画というデザインの本質であると思う。

またデザインは他者との共感が重要である。その為にはイマジネーションの共有が必要なのだが、これには同じ体験が不可欠である。実体験を伴わない机上旅行では、電車に乗って旅行をするという過去の自分の実際の体験記憶を再構築して自ら頭の中に作り出さなければならないが、資料の中の実在の物や自分の実体験を思い浮かべることはそれほど難しい事ではない。もちろんそれぞれが思い描く想像には相違があっただろうが、お互い容易にイマジネーションを共有する事ができていたし、楽しさを共感できた。

しかしこれが実体験を伴わない物事や、現実の論理や物理法則を無視した空想の世界を他人と共有するとなるとそう簡単にはいかない。


1977年に公開された映画「スターウォーズ」をリアルタイムで観たのだが、その世界観は当時子供だった私にはとても衝撃的であった。それまで宇宙や未来といえば眩しいほど明るく清潔でピカピカに描かれているのが普通だった。ところがこの映画ではくたびれた埃っぽい現実のリアルな世界のように表現されていたのである。カッコいい空想の宇宙船や戦闘機も、排気ノズルは汚れ、座席シートも破れて薄汚れている。全ての物に人が使い込んだ経年を感じる表現がされていて、実に生活臭いのである。人がそこで暮らしていると考えれば生活の痕跡があるのは当然なのだが、都合よく繋ぎ合わされた空想の世界をそうした丁寧に考証された五感に訴える表現で描こうと発想したことに感動したのである。そしてこの空想の中のリアリティが現実を繋ぐデザインの本質だと感じたのだった。現実にはあり得ない、現実とは何ら関係のない空想の世界を具現化し他者と共有し共感に繋げるには、リアルな実体験の記憶と物理的論理と知識を積み重ね、さらにそれを実現できる技術力や表現力の習得が不可欠なのである。

では、空想の原動力はどこからやって来るのか? そもそも空想とは現実世界の事物について抱える問題発信地であって「こうなってたらいいな」「こうあるべき」といった問題解決の希望的情熱、夢や希望、願望の現れである。それゆえ、現実世界が多くの問題を孕んでいればいるほどその礎となってエネルギーは大きくなり、空想は飛躍すると考える。空想は現実世界の抱える問題の裏返しとして具象化されてきたのだ。 空想が論理や物理法則を無視した夢や希望といった心の現れだとしても、繋ぎ合わせる要素の一つ一つは知識を含めた実体験である。先人のクリエイターたちはそれらを卓越した想像力を駆使して再構築し、高度な技術によって具現化して空想の世界を表現してきた。



主人公のルークスカイウォーカー(演:マーク・ハミル)が乗る「X-34ランドスピーダー」。

ルークが乗り込むのは形落ちの中古品で、SFでありながら長年使い込まれたリアルな使用感が描写されている。



多くの少年たちに夢を与えた公開当時の映画パンフレットは未だに手元に残している。映画のシーン描写が豊富に掲載されており、当時の定価は350円だった。


1972年に始まったマジンガーZは光子力エンジンが動力だった。先述のスターウォーズの主人公の一人、ハン・ソロの愛機ミレニアムファルコン号は亜光速イオンエンジンで推進する。1979一九七九年放映開始のガンダムはミノフスキー・イヨネスコ型核反応炉で動き、1982年に連載が開始された「AKIRA」の主人公、金田の跨るバイクはハイブリッド常温超伝導発電機で走る。 このように50年も前から世界共通のボキャブラリーであるエネルギー問題も彼らはその空想力で軽々と超えてきた。切実かつ可及的解決が求められる問題に対し、膨大な空想世界の中から生み出した創造物で希望や理想、夢を示唆してきたのだ。

デザインは発明ではないが、新たな試みへの挑戦ではある。時として科学技術は飛躍的な革新を遂げるが、それだけでは根本的な問題解決にはならない。見たことのない経験したことのない新しいものを、有形無形の文化に昇華させこの世界の全ての営みのサイクルに合わせ機能させる役割を担うのがデザインである。デザイナーは常に現実世界の問題を意識し、無限の空想力と情熱で挑み夢を作り出すのである。それがいつか誰かに感動と共に新たな経験として記憶され、繋がり、その先に自分の夢がリアルとなった世界があると信じている。かっこいいとはこういうことだ。

50年前に空想の世界を通してエネルギー問題という概念を教えてくれた先人達には、ハイブリットやEVが主流になりつつある現代はどのように映っているのだろう。「まだ」と思うのだろうか、それとも「もう」と思うのだろうか。

彼らと時空を超えて語りあってみたい。


[この記事は、Quarterly OCEAN Vol.02に掲載された内容をweb用バックナンバー向けに再編集したものです。]


 

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