top of page

2022年8月2日

OCEAN column

いつまでも愛される
イタリアの動くモダンアート

Vol.01掲載
FIAT Nuova500
過去から現代と未来を生きるクラシックカー

Quarterly OCEAN Vol.01

特集 OCEAN Column



OCEANコラムでは、OCEANの頭文字にちなんで「Obligation」「Challenge」「Environment」「Action」「Next」の5ワードをテーマに、様々な分野で取り組みを行う企業や団体を紹介する。

Vol.01では、イタリア最大の自動車メーカー「FIAT」が生んだ歴史的な名車2代目500の“Nuova500”を中心としたクラシックカーの保存・保護活動を行う愛知県の「チンクエチェント博物館」を取材した。



500ccエンジンを下ろし、キットによって電気自動車に改造されたNuova500(チンクエチェント博物館:提供)



エンジン自動車の大転換期

今までの百年とこれからの百年で

クラシックカーはどうなるのか


2020年に日本政府が「2050年カーボンニュートラル」を宣言し、それに伴って日本は2030年を目途に内燃機関のみ、つまりエンジンのみで走行する自動車の新車販売を禁止しようとしている。

これ以上地球温暖化が進むのを抑えるため、世界各国でもHV(ハイブリッド)車/PHV(プラグインハイブリッド)車、BEV(バッテリー電気自動車)などの自動車の次世代エネルギー化の流れが急拡大してきている。


世界で初めてガソリンを燃料とするエンジン自動車が登場したのは今から130年以上前のこと。

二度の大戦のあとに世界各国で庶民の足として自動車が広く普及し、名車やクラシックカーと呼ばれる歴史的価値の高い自動車もたくさん生まれた。

多くの自動車の中でも、小さな車体でかわいく走り回るイタリア・FIAT(フィアット)が製作したNuova500(チンクエチェント)というクラシックカーを未来に残すために挑戦する愛知県のとある博物館をご紹介したい。


博物館入口の上部にはNuova500をかたどったモニュメントが飾られている。

雰囲気は博物館というよりも町工場や倉庫に近い印象だが居心地はとても良い。


イタリアFIATが生んだ名車

普通の大衆車がMoMAの近代コレクションへ


そもそも今回の主役FIAT Nuova500は、1957年に登場した2代目の500で設計・デザインは当時のFIAT社の技術ディレクターであったダンテ・ジャコーザによるもの。“チンクエチェント”はイタリア語で500の数字を意味し、エンジンの排気量だった479ccにちなんだ車名になる。


戦後、イタリア国内では復興が進みはじめた頃、二輪車に家族でまたがり移動する光景が当たり前だった。

イタリア北部のトリノを本拠地とするFIATは、「経済復興が進めばいずれは国民みんなが自動車に乗り始める」と見込んで、当時もう一回り大きかったFIAT 600をさらに小型化したNuova500を発売した。

発売当時はNuova500を購入する際に二輪車の下取りを行うなど異例の販売戦略を行い、イタリアをはじめとしたヨーロッパで大ヒットに繋げたイタリアを代表する国民車だ。約20年にわたってバリエーションを増やしながら総生産台数は367万8000台と言われている。


アニメ「ルパン三世」の愛車としても有名だが、2017年にアメリカのニューヨーク近代美術館MoMAにて後期に生産されたFシリーズが常設コレクションに認定され、歴史的価値のあるNuova500は、小さなサイズと可愛らしい顔つきから初期型の発売から65年がたった今でもファンが多い。



貴重なモデルが揃う小さな博物館

日本でこんなに見れるの!?


そんな500を集めて展示と保存・保護活動を行っている、チンクエチェント博物館を運営する株式会社ソモスの伊藤代表にお話を伺った。

2001年に博物館は開館するが、その15年以上前から歴代の貴重なモデルを探していたという。

20年にわたって製造され続けた500は年代や発売された地域によってさまざまな種類があり、時に貴重な初期モデルを集めて開館の準備を行っていた。


博物館内には貴重なモデルが展示されており、Nuova500の製造初年度モデルや、トッポリーノの愛称で知られる初代500。北米基準に対応したアメリカ向けモデルや、カロッツェリアギアが製作したビーチカー、現在も残る「ABARTH」ブランドの生みの親カルロ・アバルトが実際に乗っていたオーバーフェンダーのついたアバルトなど、日本でこんなラインナップが見れるのかと驚くほど貴重なモデルたちが展示されている。


博物館奥に保管されている初代500

イタリア語で「ハツカネズミ」を意味する「トッポリーノ」の愛称がある。1933年から55年までの22年間生産され、戦前から戦後までを通した生産でありながら60万台生産された。設計は後にNuova500も担当するダンテ・ジャコーザ。

上の写真は最初期の500A型で、1948年まで生産されていたモデル。

非常に小さな車体は現代の軽自動車よりも小さく軽い。


トッポリーノの向かいにいる2代目500

初代のトッポリーノの後継車種で、社名の前にイタリア語で新しいを意味するNuovaを付けて「Nuova500」と呼ばれる。

展示されている個体はNuova500のデビューイヤー製造の珍しい個体。製造当時の保安基準の違いからサイドミラーが無く、フロントにウィンカーも持たない。サイドドアも後輪側を軸にして開くリアヒンジ扉が採用されている。

当時の純正塗装でオリジナルの状態が残る非常に貴重なモデル。



博物館の一番奥にいるABARTH 500(アバルト・チンクエチェント)

ABARTHは1949年にカルロアバルトによって自動車パーツメーカーとして創業した。FIAT500などの非力で小型の自動車をベースにチューニングカーを製作し、レース競技などに出場した。

カルロ自身の星座であったサソリをトレードマークにして製作された車は「アバルトマジック」と呼ばれるほどの高性能車として有名になった。展示されるモデルは、大きく張り出したオーバーフェンダーやサソリのエンブレムが付き、実際にカルロが所有していたモデルだという。

ABARTHは現在も人気ブランドとしてファンから愛されている。



愛すべき自動車だからこそ

大勢の人に走らせて楽しんでほしい


開館当初は「移動する博物館」をコンセプトにしていたという。2001年に愛知県知多半島に開館した後、東日本大震災後の2014年には山形県へ移転した。「興味がある人がいても、300キロも400キロも離れていたら気軽に見に来ることができないじゃないですか。」と伊藤代表は語る。そこには多くの人にNuova500の魅力を知ってほしいという思いが込められていた。

2020年に愛知県名古屋市に戻ってきた際に、周囲の人たちから「日本に全然Nuova500がない」「乗りたくても載ることができない」という話を耳にするようになったという。

新型コロナウイルスが流行し始めた時期で、気軽に博物館に来ることができなくなった中、開館してから20年弱はただ、500を見てもらうだけで、「実際に乗って保護・保存をする」をビジョンとして掲げながら、そのインフラを整備してこなかったことをものすごく反省したと語ってくれた。

Nuova500を気軽に乗れる機会を作ることが、この博物館にできることなのではないかと思い立ち、イタリア本国のNuova500オーナークラブなどと連携し、現在の日本の安全基準の考え方に対応し、クオリティも信頼できるサプライヤーをイタリアに確保した。


取材当日に新品キャブレターが届き調整を行うNuova500のエンジンルーム。

電子制御が主流の現在の自動車に比べ簡素なイメージがあるが、調子が悪い箇所は目で見て判断ができる。

独特な2気筒のエンジン音と排気ガスの匂いはたまらない。


乗り続けられるクラシックカー

博物館オリジナルの3つの乗り方


「実は新品パーツがたくさん届きまして。」と見せてくれたのは、ガラスを抑えるモール材やサイドミラーなどの多数のパーツだった。「Nuova500はいまだに新品のパーツが手に入ります。イタリアからくる中古車も、いったん全てのパーツを取り外し、ボディの再塗装をして新品のパーツをつけています。」新品のパーツが揃っていてもすべてが復活できる訳ではない。ボディが良好でも、エンジンに致命傷があればいくらパーツが揃っていても走ることはできない。

そこで2021年に登場したのが、エンジンをモーターに乗せ換えた電気自動車「500ev」である。四速のマニュアルギアボックスは残るが、モーターのトルクのおかげで走行中の変速は不要になり、AT限定免許で運転することができる。「EVにすることによって、この車が苦手だったことがかなり克服されている。坂道でも、合流でも、最新の車に混ざって都心部のような交通量が多く坂が多くても、何もためらうことなく気軽に乗れるようになった。」という。まさに、クラシックカーの姿をした最新のモデルへと生まれ変わっている。


EVにコンバートされたNuova500のエンジンルーム。(チンクエチェント博物館:提供)

2気筒の小さなエンジンはなくなり、バッテリーとインバーターに走行用のモーターを搭載する。

充電ソケットは外観を損なわないように、フロントのFIATエンブレムが差込口になっている。



「もう一つ最近考えているのが『ビスポーク』という考え方で、オーナーさんの個性によって自分の好きなNuova500に乗れるように、もっと価値を追求したいという方に提案しています。自動車版のオートクチュールのような。」ビスポークは、好きな車体色やホロの柄、内装のコーディネートまでを特注で受付て、世界に一台だけのオリジナルのNuova500を作ることができる訳だ。「オリジナル」「EV」「ビスポーク」とそれぞれNuova500の持つ素材の良さを生かして手を加えられている。歴史的価値の高い車だからこそ、多くの人に少しでも長く相棒として過ごしてほしいという。最新の電気自動車を選ぶことだけが、持続可能な社会を作る事ではないということを覚えておきたい。


ビスポークで製作されたNuova500

ゴールドのボディとルーフ部分の紺色の愛称が抜群でオーナーのセンスが光る。

キャンパストップの素材もオーナー好みで、オリジナルにはないチェック柄が採用されていた。


インパネもボディ同色に塗装されていた。

ホーンボタンはモザイクタイル調の特注品。


イタリアの文化で育ったからこそ

長く乗ることができるのかもしれない


国内の自動車メーカーの古い車、といっても20年ほど前の車でさえ純正部品を新品で調達できるのはかなり限られたファンの多い車種くらいで、Nuova500のような一般大衆車だとかなり難しくなる。イタリア人は「壊れたらなおせばいい」「自分の好きなものを永く使う」という考え方で、いいものを永く使おうとする。そのため純正部品の新品がいまだに調達できるのだろう。

イタリアもそうだが、ヨーロッパでは建築でも、古くてもいいものを永く使う工夫をして、昔の建物を残したまま新しい使い方をすることが非常に特異な国が多く、文化財や歴史的価値のあるものに囲まれて暮らしている。そのため日本とは違い、クラシックカーの税金が減税される国も多い。ドイツは、クラシックカーに対して末尾が「H」になるナンバープレートがある。Hナンバーは様々な条件を満たすと保険料が安くなる制度があるが、Hナンバーに乗ることを誇りとして、良い車を大切に乗り続けている証として親しまれている。


これだけ古い車でも新品部品が調達できるのは、良いものを直しながら永く使いたいという願いも込められていると思う。それはメーカーだけではなく、国や地域、ユーザーまで同じ想いだからこそ可能な事なのかもしれない。

いいものを自分の好みにアレンジして長く使うこともSDGsと環境保護につながるのかもしれない。





[この記事は、Quarterly OCEAN Vol.01に掲載された内容をweb用バックナンバー向けに再編集したものです。]


 

取材・写真・文責:鈴木洋平

写真提供:チンクエチェント博物館


取材協力

チンクエチェント博物館

愛知県名古屋市瑞穂区高辻町14-10

TEL:052-871-6464

FAX:052-882-1105


※プライベート博物館のため、見学には予約が必要になります。

bottom of page